2004年7月13日 (火) 仕事の合間に行く英会話教室は、とても息抜きになっていた

これは2023年11月9日に書いた記事ですが、ややこしいので過去の日記を書いた日付で投稿しています。

 

前回、私がかつてワーキングホリデーでオーストラリアに行く!と決めた時から始めた日記について、最初のページに書いた内容を書き写した。

そして、同じ日の夜に改めて日記を書いたようだ。

じゃあ最初の決意の文章はいつ書いたんだろう?火曜日だから平日だし。

 

2004年7月13日 (火)

夜 今日は本当にサイアクの気分だった。交流会のプリント作りで眠いし、ノバはレベルアップしないし、明日はコンパル勤務になるし…。
大分からシカゴ出身のまじめそうな先生が本日ノバで教えてくれた。
自分の体調が悪いせいか、毎日来ている男の生徒 (また名前忘れた!) と、あいさつも反応も乏しい男の生徒にイラついた。
本当は早めに来て、どうすればレベルアップできるかきく予定だったのに、あまりの眠さにパークプレイスの駐車場で眠っていてギリギリで…
本日の授業は airport での会話の仕方…。だけど今日って本当にポイント1回分消化しただけの価値があったのかな…。こんなにムリして行くんじゃなかったかな… 落ち込み…。
しかしノバは現在の私にとって心の支えである。したがって、多少ムリしてでも行かなきゃ後悔の念にかられるほど。しかしもう55Lesson なのに英語力UPしないといやになっちゃうなー。最近ギャラリーかわってきたし。えりちゃんって子はどこへ?(まさかレベルUP⁉︎) Joyロードの男の人は?臼杵から来てたおいちゃんは?
ブルーでなんとなく父にTEL。(彼も疲れていたが) オーストラリアに行きたい話をしたが、それは自分で決めたことなら…って、本当にそう思っているのかな?(言うのけっこう勇気いるんだけど…)

 

うーん、疲れてるねー。

この頃の私は知的障がい者施設の支援員5年目。

サービス残業が多くても、日中に利用さんのトラブル対応や業務に追われても、通所施設で週休2日だったのでバランスは取れていた。だけど、私が介護福祉士の資格を持っているのもあって、休日にも2時間とか3時間とかだけど仕事が入るようになってから、ちょっとしんどくなっていた。

休みが2日あった時は、1日は体を休める日、もう1日は自分を喜ばせる日と決めていて、私はおしゃれして友人と遠出するのがとても大好きだった。だけど、数時間でも昼過ぎに仕事が入ってしまったら、出掛けられない。

そうしてストレスの解消場所がなくなっていった。

あまりにもしんどくなったので、せめて自分がずっとしたかったことをしようと思ってエイっと飛び込んだのがノバだった。

ジオスでもイーオンでもなくノバだったのは、ノバうさぎのキャラクターが可愛くて好きだったからだ。

当時まだ出来たばかりで新しかったパークプレイスというショッピングセンターが好きでよく行っていたのだけど、そこにノバがあり、とりあえずノバうさぎのぬいぐるみキーホルダーが欲しくて買った後、勇気を出して入会した。

でもたまたまだけどそれは大正解で、時間に融通が効くので仕事が忙しくてその時にならないと行けるか分からないことが多かった私には、最適なシステムだった。

しかもノバは講師が全員外国人、生徒は一度に最大4人だし、最初のレベル (7B) の時は「間違っても良いからとにかく英語を喋って慣れろ!」というのが大きな目標だから、とにかくしゃべれば「Good job!!」と褒めてくれる。

まあ、7B → 6 → 5 と上がって行くうちにだんだん文法とか発音とか言われだすので勉強っぽくなってくるけど、最初の頃は楽しくて楽しくて、「次のクラスでこう言いたいから英単語調べよう!」と自主的に楽しみながら勉強出来た。あの時がいちばん英語に対するモチベーションがあった。

これ見ると懐かしくて泣きそう

それに、これもたまたまだけどパークプレイス校はオーストラリア人の先生が多くて、その2年後にオーストラリアに行った時もオーストラリアアクセントは既に聞き慣れていたというのも運命を感じる (笑)

2006年にオーストラリア行く直前までノバに通ってたから、この時はレベル6とかだったのかな?多分、早く5に行きたくてウズウズしてたんだと思う。

 

けど、日記の中にあるシカゴのまじめそうな先生というのは、丸顔の男の人だったのは何となく覚えてるけど、ここに書いてる生徒が全然思い出せないなあ。

「えりちゃん」はぼんやりとは覚えてて、真面目そうだけど意外とフレンドリーなんだなと思ったのを覚えてる。

年上だけどすごく人懐っこくて、その後もずっと仲良くしてもらって私と同じ時期にワーホリに行ったMちゃんと3人で「仲良くしようね‼︎」と盛り上がった後に、さっぱりクラスで出会わなくなったと思う。

つーか、Joyロードって言葉を今の今まで忘れてて、なんだったっけ??ってしばらく考えてしまったわw 大分駅のところにあった旅行会社だよね、多分。よく利用したわ。

そして、父に初めてオーストラリアに行きたいことを話した時は、一見許してくれそうだった。だが、その後大波乱が起きることを、この時の私はまだ知らない。(まあ、やっぱりねって予想はしてたが)

 

つまり、

仕事は好きで生き甲斐を感じてたから頑張ってたけど息抜きが出来なくなって英会話教室へ

そこで出来た友人と外国人経営のバーに行って英語を話しに行ったり、ワーホリ帰りの人に出会ったり、とにかく英語が楽しくて仕方なくなる

海外生活に挑戦出来るならやってみたい、あきらめたくない

 

ってなったわけ。きっかけは仕事と英会話教室よ。人生どう転ぶか分からなくて面白いよね。