Beppu

夜明け前になぜか昭和な気分になる

完全に昼夜逆転してしまって困っている。

ああ、今夜うちのパートナーがメルボルンから戻ってくるというのにな。

 

でもさ、夜から明け方にかけてって、なんか良いよね。

昼間のざわついた雰囲気が落ち着くからか、不思議なインスピレーションが湧いて来やすい。

なぜか分からないけど、こんな夜は昭和な気分に思いを馳せていたりする。

なんだろう、何十年前の人たちもこうやって朝を迎えたのかな、とか色々想像したくなるの。

 

ここはオーストラリアで、私は今シドニーに住んでて、時代も町並みも住んでる人の意識も何もかも違うのに、どうして私が生まれる前の時代をまるで遠い過去の記憶のように感じてるんだろうね。

 

多分だけど、私の今の生活はまさに令和というか (令和何年かは知らない)、いつも iPad やスマホの画面を見過ぎている。だから、疎かになりがちな現実世界の生活を無意識に憂いて、昔の生活を思い出しなよっていう危機感からかもしれない。

ここ数年、画面を見つめていれば何でも事足りて、ついそっちの世界に引っ張られがちになっている。

 

けどさ、滅多に来客のない小さなシドニーのユニットで、ひとり謎に昭和な気分に浸りながらスマホの画面を覗くと、やっぱり現代に生きてるんだなと不思議な感覚になる。

ツイッターには、色んな人の色んなつぶやきが溢れてて、こんなので人と繋がれる時代まで来たんだなと。

住む場所も状況もバラバラ、実際に会ったこともある人もいるし、近くに住んでいるみたいだけど顔を知らない人、遠い土地で暮らしてる人、色んな人のつぶやきが溢れてる。

だからついつい、小さな画面をずっと見入ってしまうんだろうな。

 

でも、そんなことしてる間に太陽は昇るし、猫たちはいつの間にか大きく成長してる。

昨日も気持ち良い風が吹いてたかもしれないのに、窓も開けずに作業のことばっかり考えてた。

本当はもっと見ておかないと。

この時代の雰囲気とか住んでる部屋の様子とか、今現実に起こっていること、今生きてて関わる機会がある人たちのこと。

1秒1秒時間は進んでいるのに、実感がなくて見過ごしてしまいそうっていうのは、コロナの2年のことを思い出すと実感するな。

 

そんなことを書き留めていたら、夜が明けていた。