日本に10年ほど帰っていないが、もう帰りたいとは思わなくなった。
帰りたくて帰りたくて狂おしいほどだった時代はとっくの昔に過ぎ去って、もうシドニーの方が馴染みがある場所になってしまったので、むしろ日本に行くと戸惑ってしまうだろう。
そもそも、そんなお金と時間があるのなら、オーストラリアの旅行に使いたい。
そんなマインドな私なのだが、何の気まぐれが自分でも分からないけど、一昨日から昔の日記を引っ張り出して読み始めている。
ついでに、最後に日本に一時帰国した2012年の写真を見ていたら、色んな過去の思い出が蘇ってきた。
幼稚園くらいの頃に親にラクテンチでビニールのターコイズ色したてるてる坊主を買ってもらったなとか、小学生の時はあの場所でよく遊んだなとか、高校の時に部活の仲間であそこに泊まったなとか、社会人になったからみんなでドライブに行ったなとか、色々。
シドニーにもかなり思い出が出来てきて愛着を感じることも多くなったけど、やっぱり多感な時期を過ごした故郷には叶わないものだ。
だけどさ、楽しい思い出もたくさんあるけど、そればっかりじゃない。
懐かしくて切なくなるほど愛おしい気持ちを味わう一方で、嫌なことを思い出して胸がギュッとなることもある。
ちょうど昨日、昔よく日本で聴いていた音楽を久しぶりに聴いたタイミングもあるのか、良くも悪くも心があの頃に戻った。
あまり触れると飛んでいきそうだから、普段はそっと箱にしまっている大事な思い出と共に、怖い気持ちも出てくる。
最初に「別に帰りたいとは思わない」みたいなことを書いたけど、見ないようにしてるというのもあるかもしれない。
帰ったら、大好きだったはずの故郷が私の知っている姿じゃなくなってるのを突きつけられて、過去そこにいなかった自分に後悔するのではないか、とか。
私が知らない間に変わっていった、過ぎ去った時間たち。
ああ、私は何をやってたんだろう?
とはいえ、私だってシドニーで色々と感じながら生きて来たのだ。
しばらく私の青春そのものを写しているような写真たちを眺めていたら、ふと「この思い出たちに私の大事なパートナーが加わったらどうなるんだろう?」という考えが浮かんできた。
今は私の中で全く馴染まない水と油のような2つの思い出だけど、それが混じり合うことがあるとしたら…?
良い思い出はさらに良い感じに追加されて、嫌な思い出は良い思い出に上書きされる…かもしれない。
ただ、私のかつて当たり前だったとっておきの世界を、国籍も趣味も年代も全く違うパートナーの目を通したら、どう感じるのか。
私の知ってる故郷は20代だった頃でほぼ止まっている。
私ももう若い頃の自分とは違う。
でも。
いつか、私と一緒に故郷に帰ってくれるかな?
それって思い出に浸るんじゃなくて、全く新しい世界を創造するってこと。
私がよく知ってるあの風景が、まだあるかは分からないけど。
多くの在外日本人はしょっちゅう帰国してる人多いから「何言ってんの?」と思う人もいるかもしれないが、私にとってはもう諦めた世界だったから、1mmでもこんな気持ちになった自分に驚いている。
そう考えると、シドニーにはまだまだ私の心が入ってない気がするな。
ずっとオペラハウスのそばにいたいという愛着があるのも嘘ではないが。(現実的かは別として)
とりあえず、このまま行くと日本よりオーストラリアで過ごした年月の方が長くなる可能性が高い。