自分のことをいつも遠くから見守っててくれて、語る体験談を興味深く聞いてくれる相手がいるということ大切だ。語ることで自分を客観視出来たり、自分の行動の確認にもなる。さもなくば、ボーッと生きてしまうのではないだろうか。
この歳になってから過去を振り返ると、そんな風に思う。今は「片付け」に関することに課題を感じているので、「寂しいと部屋も乱れる」という言葉も浮かぶが、それも何となく分かる気がする。
まあ昔の私は語る相手なんていなくても、日記に気持ちをぶつけて整理していたし、今はSNSやブログもある。誰に見せたいわけでもないけど、思うままに文章を書きたい欲求が生まれるのは、こういう理由もあるんだろう。
最近そういうことに関連して気付きがあったので、ここに書いておこうと思う。
現在、メルボルンからタスマニアを経て、父親の容態が良くなりからとアデレードに滞在しているパートナーだが、昔から彼はいつも滞在先からしょっちゅう電話をくれたり、写真を送ってくれたりする。
「飯テロだw」なんて思いながら深く考えていなかったけど、思えばコロナのロックダウンの時は離れ離れになってもそのマメな連絡のお陰で孤独な気持ちになることがなかったし、そもそもニュージーランドにワーホリに行った後に彼に戻った理由もそれが大きな割合を占めていたような気がする。
そう言えば日本にいる時、私は彼氏がいても時々寂しくなってメソメソしていた。普段は決して彼氏を優先するタイプではないのだが、急にどうしようもなく孤独を感じてしまうことがあったのだ。
実は今でも定期的にメソメソしているのだが、少なくとも今は自分を気にかけてくれる肉親はいなくても、彼がいる。彼は、私が今まで付き合ってきた彼氏とは何かが違う。何だろう?
パートナーと私は、大きく見れば生きるスタンスや好きなものが似ているものの、興味を持つものも生まれ育った国も、年代も全然違う。あまりにも違い過ぎるので、それが逆に良い意味でお互いのことを気にしないから上手くいっているというのもある。(近すぎると違いのズレが気になるってB’zも歌ってたよね)
2人ともひとりで過ごすことに慣れていて、自由が好きというところがそっくりだから成り立っているとも言える。自分のペースで生活したいし束縛はされたくない、でも構ってほしいという矛盾する性格は、私と良く似ていると思う。
だが、最近ちょっと思うことがあり、私は彼に「自分の世界だけで生活してない?私のことも考えてよ」なんて言った。でも、もちろん私も人のことは言えたものじゃない。
そして先日の電話。
「昨日、私が勤務中って知ってるのに、深夜に電話かけて来たでしょ」と言ったら「そろそろ終わる頃かなと思って。だって声聞いたかったんだもん」と。いや、確かにちょうど終わって、車で帰宅するところだったんだけどね。人と話してたから電話には出なかったけど。
「あ〜、キミの怒鳴り声が恋しいよ」なんていうからムッとしたが、途中で片付けや掃除のことで言い合いになる。パートナーは「そんな話をするために電話したんじゃない」と言いながらも、だんだんおかしそうに (嬉しそうに?) 笑うもんだから、私もつられて笑ってしまった。
そう言えば、私が彼の生活について怒ると、面白そうに笑うので私も何故かつられて笑ってしまったことは前にもある。「え?この人、怒られることが嬉しいの?」と戸惑った。
ああ、もしかしたら彼もずっと寂しかったのかもしれないと、ふと気付く。
本人が気付いてているかいないかは別として、物をたくさん所持して、部屋の空間を埋めてしまうというのは、寂しさを埋めるためかもしれないとは薄々思ってはいた。
私は彼のお母さんと似ているところがあると自分では思っていて、だから好かれているのかな?でも彼は私と違う理由で「家族を作ること」にトラウマがあるようで、ついに私たちは子供を作ることが出来なかった。彼の両親は小さい頃に離婚したため、お母さんは仕事が忙しく、子供だけで過ごすことも多かったと聞く。そういうのが大きく影響しているのかもしれない。
私も今まで自分の傷を癒すのに必死で生きていた。何度も泣いて、傷ついて、学んで、オーストラリアの環境が私に生き直すチャンスをくれたことで、最近やっと癒えてきているのは感じている。そんなだったので、本当の意味でパートナーに目を向けられていなかったのかもしれない。
最近は料理も掃除も面倒だったし、子供のためならまだしも、パートナーのために甲斐甲斐しく動く季節なんてとっくに過ぎたと思っていた。でも遠い昔、ボロネーズが食べたいと言ったから作ったのに涙ぐんだり (結局タイミング悪くて食べなかったけど)、誕生日サプライズされて私が驚いたらすごく感激していたのを思い出す。
付き合いたての頃は、同じ家の中にいても特に会話や接触をしてこないのに、私が出掛けるとなると「I Miss you」と言ってくるのがいつも不思議だったが、何となく分かったような気がする。
人はひとりでは生きられないというのは、物質的なことだけじゃない。
もしかしたら、私次第でパートナーの溜め込み癖や片付けが苦手なのが治るかもという気がしている。私は私で長年トラウマで苦しんで来たから、向こうも待ってくれている状態だったのかもしれないとさえ。私たちは運命共同体だ。