この先もし世界が終わるとしても、その時は一緒に過ごしていたい

ここ数日、パートナーが私に対してとても優しいので、びっくりしている。

それを本人に言ったら「そうかな?」と驚いていたけど、本当に気付いてないのだろうか。

だって、パートナーはいつも基本的に仕事が忙しくてそっちにつきっきりだし、私もひとりで過ごしても全く問題ないタイプだから、お互い結構ドライに暮らして来たと思う。

 

でも、ちょうど私たちが一緒になってから10年目の2018年頃からかな、パートナーは私のことをお姫様扱い(?)しなくなったというか、忙しさなどで邪険にされることの方が多くなったというか。

それも慣れたけどさ。

でも良く考えたら、私だって10年目くらいまでは記念日にケーキとろうそく買ってお祝いしてたのに、それ以降はおざなりになっていた。

ブログに夢中になってからは、書ける環境があることだけで幸せを感じるので、その他のマイナスなことはもうどうでも良くなって割り切れていたのかもしれない。

 

あの時、私が仕事を辞めてブログを本格的に始めたのと、パートナーの仕事が忙しくなって出張が多くなったのとが同じくらいのタイミングだった。

そもそも私もブログ始めたのも、ちょっとミドルエイジクライシスのようになってたけど、今思っても仕事辞めてブログを書くという道筋がきれいに出来ていたと思う。

私がそれまでお金と時間と労力をかけて頑張って積み上げて来たと思ったものはガラガラと音を立てて崩れ、結局子供も出来なかったし、家は相変わらず荷物が多くて減らないし、もう頑張りすぎて病気になりたくなかった。

そんな時にキラリと私の目の前に現れたのが、ワードプレスで作る「ブログ」の存在。

はっきり言って、進むべき道はブログしかなかった。タイミングも完璧だった。

 

私にとってブログの存在は本当に大切なもの。

何しろ、私がオーストラリアに来た原点に立ち戻れたし、若い頃に夢見ていたことが現実になったのだから。(アナログの写真を紙に貼って、これを世界に発信出来ないかと考えていた時代のこと)

 

新型コロナウィルスの2年間はちょっと反則な感じがしなくもないけど、とりあえず今年の10月であっという間にブログを始めて満5年。

 

ブログ経由である人からあるメッセージをもらってから、色々変わって来た。

どんどん人と繋がっていってて、ありがたいことに忙しくさせてもらっている。ブログをやってて本当に良かったと思った。

今までひとりでやって来た作業だけど、人と関わることで多少のプレッシャーはかかるし気がついたら夜が明けてしまうこともあるけど、それだって私が満足いく記事が出来上がって、かつ具体的な誰かの助けになるなら、多少無理がかかってもそんなことは何ともない。

基本的に私を放置してくれているパートナーにも、感謝している。

 

そんな生活が当たり前になっていたのに、急にパートナーが私に優しく向き合ってくれると、逆にびっくりしちゃうじゃん。「どしたん?」って。

 

でも、パートナーも仕事のオンオフが曖昧で忙しそうだから、こうやって穏やかに会話のキャッチボールをするのは、お互いにとって息抜きにもなるし良いことなのではないか。

だけどさ、生活という観点で話し合うと、私も諦めの境地にいるだけなので、不満はまああるわけ。贅沢かもしれないけど。

 

「どうしたらオレはEriにヘルプ出来る?」と聞かれて考えたんだけど、出た答えは「いつもこんな風にゆっくりと色んな話がしたい」ってこと。

そう、それよ。

子供もいない私たちは、趣味や興味も違い過ぎる面も多いけど、感情のシェアは大切だし、それがないなら虚しい人生だと思う。

 

そもそも、私はパートナーのいるオーストラリアに住むことを選んだ。日本の何もかもを捨てて。

 

私たちの黄金期は過ぎてしまって、もう衰えていくだけだろうし、2人ともコロナで太った体型が戻ってない。

 

だけどさ、世界の変わり目を迎えている今、これから何が起こるのかをパートナーと一緒に見て行きたいし、世界が終わる時が来たとしても一緒に迎えたい。

 

大事なことなので、太字にしておいた。

 

パートナーが作ってくれた朝ごはん