オーストラリアに来て人生観は変わったのか?と聞かれたら「変わってない」と答える

オーストラリアに来たばかりの頃は、見るもの全てがとにかく新鮮でした。

でも、それによって人生観は変わったか?と聞かれれば、別に変わってないと答えたいと思います。パートナーと出会ったことで、運命はかなり変わりましたが、人生観は変わった気がしません。

それで、ツイッターでツイートしながら色々考えてたことをここでまとめておこうと思いました。

ちょっと海外に住んだくらいで人生観なんて変わるもの?

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オーストラリアに来たら人生観が変わるという人はいますが、私は別に変わらなかったと思ってます。

そりゃ全く違う文化に触れて視野は広がりましたし、たくさんの刺激は受けましたよ。でも、人生観まで変わったか?といえば、どうでしょうか。

環境が変わると関わる人も変わるので、何となく自分の人生観が変わったような気分になるかもしれませんが、例えば帰国してまた同じ環境に戻ったら元の生活を始めるなら、別に人生観変わってなくない?と思ったり。(かといって、変にかぶれるのもどうかなあとは思いますが)

もちろん、視野が広がるのはとても良いことなのでおすすめですし、実際変わった人もいるでしょう。

最近はオーストラリアに出稼ぎに来ることが話題になっていますから、「こんな高い時給を経験してしまったらもう日本では働けない!海外移住に向けて頑張ろう!」となるかもしれませんね。それは確かに人生観変わってるかもしれないです、悲しいことですが。

オーストラリアに来て「私の考えてたことは正しかった」とは思った

働き方で言えば、私は昔から日本の働き方はおかしいと思っていましたし (30分前出勤とか、先輩が帰らないから定時過ぎても帰れないとか色々)、悪くなくてもスタッフ側がお客さんに対して謝るのも納得できませんでした。

とっくに就業時間過ぎているのにサービス残量頑張って、休みの日はぐったり、そんな人生なら生きてる意味なくない?とずっと思ってたので、オーストラリアの仕事に対する考え方は賛同する面が多いです。

かと言って、だからオーストラリア最高!日本はダメとは思いませんけどね。ただ、ワーホリでオーストラリアに滞在する若者に、オーストラリアの働き方を学んで日本でも広めて欲しいなあと願いたくなる気持ちは、昔からありますね。

オーストラリアに来てからも日本人の働き方体質はずっと抜けませんでしたが、オーストラリアの働き方から色んなヒントはもらっていると思います。

だから、人生観自体は変わってないんですよね。

 

仕事を頑張り過ぎたことで体調を崩して手術までしてからは、私の価値観もかなり変わったというか、自分で意識的に変えましたが、それは別にオーストラリアに来たからではないでしょうし。

自分探しなんて馬鹿みたい

ひと昔前には自分探しという言葉も流行りましたが、私は「自分はここにいるんだから、探すのにわざわざ遠くに行ってどうするの?」と思ってしまうタイプ。だってですよ?自分のことを知りたければ、外に答えを求めるんじゃなくて、自分のことを掘り下げないと何も変わりませんよね?

でも確かに、旅行、特に海外という自分の持っている常識とは異なる文化圏に身を置くことで、リフレッシュできるのは分かります。

何も知らない環境で、何者でもない自分になったらまっさらな状態で新しい刺激に感動できるので、ある意味瞑想と同じ効果があると思ってますから。だから私も旅は好きです。

だけど、私はもともと異文化交流が目的でオーストラリアに来たので、文化が違うのは当たり前という前提で物事を見てました。だから別に人生観までは変わらなかったと思うんですよね。

私の人生観が変わったのはいつか

じゃあ、私が人生観が変わったのはいつだったのか、振り返って考えてみました。

① 親元を離れた時

短大に入った時に親元を離れた時は変わったと思います。

と言っても、うちはお金がなかったので祖父母の家に住まわせてもらっていたのですが、専用のキッチンもあって、祖父母は週末になるとケアマンションに行ってしまうので半ひとり暮らしのようなものでした。

私は両親とうまくいってなくて、中学生の頃から家から出たくて出たくて仕方がなかったのですが、実際に離れて暮らしてみると私の情緒がみるみる安定していくのを感じました。正直、こんなに違うものかと驚きましたね。

相変わらず父親の見張りのような束縛は続くわけですが、いつもいつも狭い団地で顔を合わせるようなことはないわけで。

すいません、こんな話。

② 就職した時

就職は色んな人生観を変えたと思います。

新卒で福祉施設の支援員になったのですが、施設長には本当にお世話になりました。

何よりも、私の意見を聞いてくれる目上の人がいること、行き詰まってもそれを打破する意見を出せる人が身近にいること、頼りにしてくれる人たちが出来たこと。ああ、健全な空気ってこんな感じだよなあと思って嬉しかったんです。

私が人様を支援するなんて、と最初は大変でしたが、殻を突き破ってからは本当に自分に自信が持てるようになって、やりたいことに挑戦する気力が出るようになりました。

薄給なりにも自由になれるお金ももらえるようになったのもあって、旅行や遠出が大好きになったのもこの頃からです。そして、平日は仕事に頑張って、週末は好きな旅行やキャンプなどをするという良い循環が何年かはしばらく続いていたと思います。

私がいちばんキラキラしていたのは、この時だったかもしれません。

③ 私の荷物が消滅した時

これは、かなりのダメージで3年は落ち込みましたね。

私がオーストラリアに行ったっきり日本に帰らなかった私も悪いのかもしれませんが、日本に置いてきた私の荷物は家ごとなくなったんです。

写真が趣味だったので、友人たちと出かけて撮った写真は宝物でしたが、当時アナログのフイルム写真でものすごい量。だから、オーストラリアに持って行くことは出来ずに泣く泣く日本に置いて来たものでした。大好きな服もたくさんありました。大事な猫たちもいました。

一時帰国して、本当に全部跡形もなくなくなってしまったことをこの目で確認した時、全てを失ったことに泣きました。それはまるで、私が日本で生きてきた足跡までもうこの世にはないよ、と言われたような。

でも、あれでもう日本に帰る理由がなくなったというか、帰らなくてももういいやと踏ん切りがついたんですよね。

楽しい思い出もたくさん残っている大好きな地元ですが、もう日本に帰って来る必要はないと言われた気がしました。

帰っても親の理想通りの人生や言動を取らないといらないダメ人間扱いされるのはしんどいですし、嘘でも傷つきます。そばにいてもお互いのためにならないとも思いました。

あれから10年。来た当時は日本よりもかなり遅れていると感じたオーストラリアですが、今はネットが発達し、色んなものが簡単に手に入るようになりましたから、こだわらなければ何も困りません。

考察

震災や災害などで人生観が変わったという人は多いですが、私の場合は全部超個人レベルな出来事です。

でもね、自分が安定して基盤がしっかりしていないと、人のことなんて気にしている場合ではないですよ。

地元が被害に遭わなかったせいもあるのかもしれませんが、きっとあの時、たとえ世界が終わっても「あー、終わるんだなー」くらいで何も感じなかったかもしれません。

心から笑えたと思ったのも二十歳を過ぎた後だったので、心のリハビリが必要でした。今の私からは考えられないですけどね。

そういう意味で、オーストラリアでは無条件に愛情をくれる今のパートナーに出会って、私が日本で取りこぼして来た幸せを取り戻す “人生やり直し” には良かったと思います。

でも、それは別に人生観が変わったということではないです。