昔ワーホリだった私が思う、コロナ以降のワーホリや永住者などについての個人的見解

時代の流れというのは面白いもので、歳を取れば取るほど早く感じるというのは本当に実感している。

いつの間にかインフラもネット普及も遅れてる田舎の国というイメージだったオーストラリアは、今では物価は高いし、何でもデジタル化が早くて、「日本って遅れてるね」と言われても仕方ない状況になった。

そして、2020年に新型コロナウィルスが猛威をふるったことで、ますます変わったと思う。

しばらく鎖国していたオーストラリアは人手不足のため、ワーホリの人たちにとっても仕事が選びたい放題だった時期があったのだが、日本のマスコミの過剰な煽りによって現在は働き手の方が飽和しているという。

ということで、現在オーストラリアのシドニーに住んでる、元ワーホリなだけで何もワーホリとは関係がない私が、今思っていることをダラダラと書いてみる。

 

ワーホリのイメージは遊びに行くから出稼ぎへ

去年くらいから日本のマスコミが「オーストラリア出稼ぎ」を大々的に煽っていたようで、私の地元の友人すら「オーストラリアは稼げるって本当?」とメッセージを送って来たくらいだ。

まあ、実際にインタビューされた人たちが言うには都合よく編集されて切り取られていた部分も多かったみたいだけど、そのお陰 (?) でワーホリというものの一般的な認知が広がったかもしれない。

 

私がオーストラリアにワーキングホリデーに行く!と言っていた2000年代は、だいたい「ワーホリ?何それ?」と言われていたので、まずワーホリというのは何かから説明しないといけないことが多かったので、最近になって日本のYoutuberさんなんかが、普通に「あー、ワーホリね」みたいに言ってると、未だに不思議な感じがする。

 

それで思い出したのだけど、私がオーストラリアに来る時は、周りの人たちから人生のレールから外れる人扱いされたり、遊びに行くから羨ましいみたいな反応をもらったりしていた。

もちろんオーストラリア行きの主な目的は旅行だったけど、お金がないから働いてもオッケーなワーホリを選んだわけで、海外で働いてみたいというのもあったし、違う世界を見て知見を広げたいというのもあった。

そのためにせっかく新卒から6年働いた正社員のポジションを辞退するわけだし、「ただ遊びに行く」と思われるのもちょっと違うかな?と思ったものだけど、現在のワーホリは「出稼ぎに行くって思われるのが嫌」という人も多いのが興味深い。

 

当時、今みたいにネットが普及してなかったから情報が少なくて、全くオーストラリア生活の想像が出来なかったが、なんとか仕事先探して、慣れない英語を使いながら働いていた。「なんか私、日本以上に働いてない?」と思ったこともある。

だけど、日本の友達からは「私も定年したらEriみたいにのんびり暮らしてみたい」と言われる。

まあ、あの頃はSNSなんてなくてEメールのやり取りだったので、状況を説明しても塑像出来ないことが多かっただろうから、仕方ないところはあると思う。

でも違和感を感じてモヤモヤしたから、当時のワーホリにとってメインのソーシャルネットワークだった mixi に投稿したら、想像以上の賛同コメントをもらった。やはり、似たようなことを感じる人は一定数いたのだろう。

 

とは言え、人がどうこう言おうと自分の人生に責任とってくれるわけではあるまいし、全員に承認されようとしなくても良いんじゃない?とは思っている。

 

それを言うと、たまにツイッターで「ワーホリに行くって言ったら⚪︎⚪︎に⚪︎⚪︎って言われた!」という投稿を見ることがあるが、正直しんどい。

理由は先に説明したこともあるけど、元情報を自分の感情で歪めて解釈する場合も多いから。この5年くらいほぼ毎日ツイッター見てるけど、炎上起こしてるのはだいたいそれが原因のように感じている。

そもそも、永住者とワーホリの生活は全然違う

ツイッターでは「オーストラリア在住の日本人界隈」でまとめられてるかもしれないが、そもそも永住者とワーホリでは何もかもが違い過ぎる。

永住者だって、日本人寄りなのかオーストラリア寄りなのかで感覚が違うことは往々にしてあるし、住んでる州や地域でも全く違う。

だから色んな人たちがごっちゃ混ぜのツイッターはカオスが起きやすくて、それが良くも悪くもある、と私は思っている。

 

以前は節約生活をしているワーホリに対して「そんな節約不可能」と突っ込む永住者を複数人見たが (手段を選ばなければ不可能ではないし、そういう人は昔からたくさんいる)、仕事も生活環境も立場もワーホリと永住者では何もかもが違いすぎるので、比べても仕方がない。

でも人間って自分の周りの世界が常識だと思ってしまうし、それから外れると文句言いたくなるものなんだと思う。もちろん私も含めて。

 

まだコロナやロックダウンの影響が残っていた時は「え、こんなところでもワーホリが働けるんだ⁉︎」と思うことが増えていたし、「ああ、よっぽど働ける人がいないんだなあ…」とレストランで注文しても意思疎通出来なかったり明らかに仕事慣れしていないスタッフに当たることもあったが、仕方ないと思っていた。いや、働いてくれてありがとうという感謝の対象でもあった。

この時期のワーホリは、確かにワーホリ史上最大にチャンスが多かっただろう。

ただ、実際に稼げている人を日本のマスコミが大きく取り上げることで、「オーストラリア舐めんなよ」と自分の生活と照らし合わせて怒っていた永住者がツイッターにチラホラと現れ始めた。

 

でもさ、永住者がファーム行かないでしょ?ワーホリが個人で家を借りないでしょ?(例外はもちろんあるが、それを言い出したらキリがない)

まあ「オーストラリア」で一括りにされて面白くないという気持ちちは、私も痛いほど分かるけどね。

でも当事者までごちゃ混ぜにするのは違うと思う。今流行りの「他者との境界線が曖昧 (バウンダリー)」ってやつに近い。

 

でも、ワーホリから永住者になった私は、この両者の間にある溝を昔から感じていたので、今回はっきりと表面化出来て良かったのかもしれない。

これは一例だけど、そういうことって世の中にたくさんあって、きっと誰もがやってしまうことなのだろうなと思う。だから、謙虚な姿勢がいかに大切かということを、改めて実感した一件だった。

今後の日本人のイメージ?

そういえば最近、「もう日本人は雇わないと言ってるファームが現れた」みたいな内容のツイートを見た。

昔は「日本人は正直で働き者だから大好き。ビザが許すなら来年も来て欲しい」と言われたこともあったが、そろそろその時代は終わったのかもしれない。

 

というか、私がワーホリだった15年くらい前だってヤバい日本人たくさんいた。

 

ネットがあまり役に立たなかった私がワーホリだった当時、稼げるファームを探して働いていた人たちは、私が出会った範囲ではあるけどみんなたくましくて生き生きとしていた。

反面、猫も杓子もセカンドビザのために行ってたバンダバーグみたいな場所には、正反対の悪くいえば甘ったれてる人たちも多くて、こんなにも集まるタイプが違うのかとびっくりした。(もちろんそんな人ばかりじゃないが、それまで言ってたらキリがない)

 

だから単に、現在はコロナの人手不足とネットの普及より、昔には探し当てることが出来なかった情報も多くのタイプの人たちにも行き渡るようになり、実情が見える化しただけだと思っている。

 

私はずっと前から発信し続けてきたのだけど、英語力ない、経験もない人がオーストラリアで働くとなった時、ジャパレスはその人達にとって、ありがたい受け皿になっていた。

もちろん低低賃金下回るのはダメだが、オーストラリア人がオーナーだからって守っているとは限らないし、オージー並みの給料が欲しいなら、それなりに努力はしないといけないと思う。

なのに権利ばっかり主張して、「ちゃんと教えてくれない」などと文句を言う。そして「仕方ないからジャパレスで働いてやったけど、やっぱりクソだった」という一方的な主張だけ聞いて、実情を知らない永住者が同情する。(そうじゃない人もいるけど以下省略…)

真面目に頑張っているジャパレスもたくさんあるし、バカにするわりには結局は日本人の営業する日本食レストランで食事したいんでしょ?なら気安く決めつけるんじゃなくて、ちゃんとなぜこんなことが起きたのか、知る努力も必要だと思う。

 

とはいえ、私もオーストラリアで日本風の働き方を強要するのはどうかと思うし、最低賃金下回るのは良くないので全面的に肩を持つわけではないが、そういうしょうもないワーホリが多い中で仕事を与えているのはある意味賞賛されても良いと思う。(かなり前になるが、シドニーでもうワーホリは採用したくないというジャパレスが増えたので、行くところがなくなった人たちがインターシップに募集が殺到したという話もあった)

なのに、全然実情を知らない、関わったこともない、責任を取る気もない人たちに勝手に悪者扱いされるのは、ちょっとかわいそうだと思った。だから、ことあるごとに肩を持つような発言はした。それによって嫌われることもあったけど。

だから、今になって可視化されて来たのは私にとって「やっと分かってくれた?」という気持ちでしかない。

なお、勘違いされたくないのは私は別に日本人が嫌いなわけではないし、日本は好きである。

だから日本国籍捨てる気はないし、ここ10年帰国してないけどお金はたまに日本に落としてるぞ!

 

そして、今は日本人経営でも日本人に拘らず色んな国の人を雇うジャパレスも増えたように思うので、ジャパレスであろうと日本人だからって理由では雇ってもらえない時代が来たかもしれない。

反面、やっぱり日本人の働き方は他の国の人とは違うので安心出来るという意見も未だあるので、今後どうなるかは興味深いところだ。

 

それとちょっと関連して、日本人と分かると態度がコロっと良くなる経験があるという人は多いと思うし、私もたくさんあるのだけど、それが人種差別的で嫌だという意見もたまに聞く。でも、それはどうなんだろう?

その人たちが好感を持てる日本人に触れて来た積み重ねの結果だと思うので、それを否定するのは違うと私としては思っている。

ただ、そういうのって時差があるので、その人の行いの良さというよりは、過去の日本人の行いの良さなので、今後どうなるかは分からない。

 

とりあえず、私はちょうど良い時代に生まれたのではないかと思って、この状況もある意味面白く見ている。

色んな世代や状況が比べられるのが実は楽しい

私がオーストラリアに来た頃はインターネットがちょっと普及して来たくらいの中途半端な時期 (2006年〜2008年) だったので、スマホの普及前と後の世界の変わりようを目の前で見て来た。

僻地でお金払ってネット繋いだのに田舎過ぎてパソコンに日本語入ってなくて読み取れないとか、日本語に触れる境が作れなくて日本語喋りたい極限状態は、スマホで簡単に世界中と繋がれる時代には難しかっただろう。

ダイソーすらなくて不便なシドニー知っているし、欲しいものがなくてシドニー中探し回ったのも今となっては良い思い出。

 

生まれた国ではないところに永住するなら、ネット三昧な生活も可能な今の方が良い。

 

ワーホリ制度は80年代に始まったと思うけど、私はその頃の人たちの体験談や情報が書かれたワーホリの本を読んでオーストラリアにて「全然物価安くなくない?」と思ったし、ゴールドコーストはまだなんとなく日本のバブル期の残像みたいなものが残っていたように思う。

「その頃の人たちは物価は安いしビザ取るのも簡単で羨ましい」なんて言ってる若者もいるが、携帯電話やネットがない世界を想像してみなよね。連絡手段なんて、ノートや手紙だよ??

 

私はその中間の時期にオーストラリアに来たので、自分的にはちょうど良いタイミングだった。

 

そして今、この時代の変わり目をオーストラリアで過ごすことになるのだから、なんていう時代を選んで生まれたんだろう、と最近思っている。