ホストファミリーと怒涛のオーストラリア1日目

大分のから電車を乗り継ぎ関西空港まで約6時間。関西空港から約7時間かけて、2006年5月21日、ついにオーストラリアのケアンズに到着しました!! 緊張と興奮でドキドキです!

たまたま一緒に乗り合わせた広島出身の男の子に「ここ、本当にオーストラリアかなあ?」なんてバカな事を聞きながらとりあえず預けてた荷物を受け取って入り口へ向かって歩きます。

あなたはホストファミリーと顔を合わせた瞬間や、オーストラリアの地を踏んだ日を覚えていますか?私は鮮明に覚えています。

 

前回の話

どーでも良い日常の倉庫

私、本当にオーストラリアに行くんだよね~ […]…

 

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私のホストファミリー

エージェントが事前にくれたホストファミリーの情報

空港のゲートを出たら、2人の白人夫婦と目が合い声をかけられました。

「Are you Eri?」

【わあー、本当に英語しゃべってる!(当たり前) 私のホストファミリーだー!オーストラリアに来たんだ!】

私は心の中で叫んでました。

金髪でショートカットの中年女性がパトリシアで、看護師さん。茶髪で髭のある背の高い男性がピーター、政府関係の人。私のエージェントがホストファミリーの情報を事前に日本に送ってくれていたので、何度も何度も反芻して読んだプロフィール。

【この人たちとやっと会う事が出来たんだ!】

ピーターが私の大量の荷物を見て「こりゃまるで3年分だな!」と言った後、車のトランクに詰め込みました。日曜日のケアンズはまだ午前5時で、辺りは真っ暗。

外の景色が見えないので私はここが本当にオーストラリアなのか確信が出来ないまま車は出発して走り出し、そしてまだ薄暗い住宅街に止まりました。

パトリシアが私を部屋に案内して「ここがあなたの部屋よ。私たちは少しだけ眠って6時に起きるけど、あなたはもっとゆっくり寝てて良いのよ。でも、私たちは8時に教会に行くけど、どうする?私たちについて来る?」

と言いました。

【教会⁉︎ 全然寝てなくて体は疲れてるけど、オーストラリアの教会ってどんな感じだろう!?】

好奇心には勝てず「Yes! I want to go with you!! (一緒に行きたいです)」と答えました。

実は日本でギリギリまで仕事をしていたので、家の荷物整理を徹夜でするハメになり、飛行機で寝れると思ったのも束の間、隣に座った日本人の男の子もオーストラリアに留学するとの事で話に花が咲いてしまって、ほとんど寝てなかったんですよね。

それなのにあと1時間も眠れないなんて、かなりのハードスケジュールです。

オーストラリアの教会

※ イメージ画像です

初めて行くオーストラリアの教会は、実際とても興味深かったです。そもそも日本で教会に行く機会があったのは結婚式くらいでしたしね。

その頃の私はキリスト教の知識も英語力も今よりもずっとなかったので、牧師さんの読む聖書は何を言ってるのかさっぱり分かりませんでしたし、彼らが通っていた “Luthern Church” の事も知りませんでした。

キリスト教と言ったらカトリックとプロテスタントくらいしか知らなかったので「カトリックでもプロテスタントでもないの?」とホストファミリーに聞くと、色々説明してくれましたが、よく知られている有名な宗派らしいという事だけでよく分かりませんでした。持って来ていた電子辞書でも調べたと思いますが、そもそもキリスト教に対する知識が不足していたので分かったような分からないような?でしたよね。

ルーテル教会(ルーテルきょうかい、独: Lutherische Kirchen / Lutheraner, 英: Lutheran Church / Lutheranism)は、マルティン・ルターによりドイツに始まる、キリスト教の教派または教団。ルター派(ルターは)とも呼ばれる。プロテスタントの一つであり、全世界に推定8260万人の信徒が存在する。発祥の地ドイツを始め、北欧諸国では国民の大半がルター派であり、そこから移民が渡った先のアメリカ合衆国、カナダ、ブラジル等の南アメリカ各国でも信徒数が多い。  (Wikipediaより抜粋)

多くのルター派の人たちがドイツからオーストラリアのアデレード辺りに多く移住して来た事は有名ですが、当時は知るよしもなく…。そう言えばホストファミリーの名字もドイツ系でしたし、今ならもっと深い話も出来たのでしょうけどね。

でも、そんな何も知らない異国から来たアジア人の私に、親切に接してくれた教会の人たちは印象的でした。

ティータイム

牧師さんの話や賛美歌とか一通り終わったら、最後に教会の庭でティータイムがあります。その時にパトリシアが私を色んな人に紹介してくれました。

「この子が今度うちにホームスティしているゆり…、じゃなくてえりよ。」

私のホストファミリー、過去たくさんの留学生を受け入れて来たみたいで、家には留学生にもらったらしいお土産がたくさん飾られていたし、パトリシアは前回受け入れていたゆりっていう人と混乱していつも私を呼ぶ時「ゆり…えり。」とホームステイが終わる最後まで言い直してたんですよね(笑)

だいたい「Eri」って意外と英語圏の人にはややこしい名前みたいで、いちばんのローマ字の失敗は日本語発音での「り」はRiじゃなくてLiな所。このせいでオージーをよく混乱させてしまいます。

そのうちパトリシアは「Her name is sounds like “Eric” but without “c”. (彼女の名前はエリックに似てるけど、最後のCは付けないのよ。)」と紹介するようになりました。うん、確かに分かりやすいですけど…(笑)

とくかく、教会のティータイムは青空の下でビスケットやらコーヒーやらを青空の下で食べながらおしゃべりします。

オージーのおばあちゃんが私にビスケットをすすめてくれて、ポロポロ落ちるビスケットのかけらを見て「こういう食べクズは鳥のエサになって良いのよ。」と言った笑顔がキュートでした。

日本人ってカルト宗教などの新興宗教のイメージのお陰で、“宗教” に対して警戒してしまう人が多いですが、それに比べてオーストラリアの教会は自然体というか、まるで毎週日曜日はご近所さんでおしゃべりする良い機会、という感じで自然と生活の一部になっているような印象を受けました。

とにかく、慣れない英会話に戸惑いながらもそれなりに楽しんでいました。が、睡眠不足がたたって気を抜くと眠気が…。

 

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近所に住んでる家族たち

やっとホストファミリーの家に戻れたと思ったら、今度はすぐ出掛けるとの事。

「今日は私の母の誕生日なの。近所に住んでるから、一緒に行きましょう。そこでお昼も食べるのよ。」とパトリシア。

オーストラリアでは高齢でも子供夫婦とは別々に暮らしている事が多く、基本お互いがとても自立してます。ホストファミリーの家から徒歩圏内には、パトリシアの母親以外にも彼女の娘2人もそれぞれ別々の家に住んでました。

気疲れと寝不足で私はこの時点でものすごく疲れていて「私、お昼いらないからちょっと眠ったらダメ?」と提案してみたのですが、パトリシアはちょっと困った顔をして「このパーティが終わったら寝て良いわよ。」と言いました。

やっぱりなあ〜。

「じゃー行くぞー!」と、ピーターが早速裸足で家を出ます。

は、裸足なの…!? と思いましたが、

「ちょっとそこまでだから、靴なんていらないよ!」だそうです。

後に、靴ずれであまりにも痛くて裸足でケアンズを歩いてみた事がありますが、とても歩けたものではありませんでした。舗装された道でも小石が痛いし熱で焼けたアスファルトは熱いし、靴ずれが痛くても靴を履いて歩いた方がまだマシだと思いました。それを平気で裸足で歩けるオージーはすごいな…。

バースデーパーティ

パトリシアのお母さんの家は徒歩で3分くらいの場所なのであっという間に着き、家には他の親族や子供たちが集まっていすでに賑やかでした。

私はどんな人たちがいるのかドキドキしていましたが、パトリシアのお母さんは白髪の穏やかな人で、親族の輪に入れない私にも気さくに話しかけてくれました。

私は何か話そうと思ってふと壁を見ると、素敵な花のモチーフの時計が目に入ったのでそれを褒めました。

「これはね、フランジパニっていう花で、クイーンズランド州でよく咲いてる花なのよ。」

フランジパニ

「へえ、初めて知りました!どういうスペルなんですか?」と聞いたら「あら、どうだったっけねえ。」と。ネイティブでも全てのスペルを知ってる訳ではないんですよね。

「後で家に帰ってから調べてあげるわ。」とパトリシアが言い、本当に後でわざわざ辞書で調べてくれました。

その花のスペルは “Francipani”。日本語でプルメリアというそうですが、私にとってこの花はフランジパニ以外の呼び方は変な感じがします。その日からこの花は私のお気に入りになりました。

気付くと私はパーティの最中にうたた寝をしてたのでした…。

おわりに

これが、記念すべきオーストラリアの濃い第1日目、そして、次の日からさっそく語学学校が始まり大忙しです。

オーストラリアの生活はこれからです。

 

初めての語学学校初日

どーでも良い日常の倉庫

ケアンズに着いたのが日曜日の早朝でしたが […]…