コロナ禍で前代未聞のバーチャルのアンザックデーだった2020年と100年前のスペイン風邪

新型コロナウイルスの蔓延でパンデミックが始まってから不便な日々が始まり、オーストラリアの様々なイベントもキャンセルが続いています。

2020年4月25日 (土) のアンザックデーも例外なく影響を受けてしまいましたが、中止ではなく例年とは全く違うバーチャルという方法で開催されたんです。

それが色々と興味深かったので、記録として書きました。

バーチャルの式典?

アンザックデーというのは簡単に言うと、オーストラリアとニュージーランドの戦没者及びそれに関わる人たちを追悼する日の事です。つまり戦争記念日ですね。
かつて日本人は外に出ない方が良いと言われいたアンザックデー

毎年この日は、夜明け前から大勢の人たちが戦争記念碑周辺に集まって “ドーンサービス” という式典が行われるのですが、今年はもちろん中止。でも、その代わりに朝6時に各自で家の前の道路やバルコニーに出てキャンドルやライトを灯す “Light Up The Dawn” が行なわれました。

そして、写真は SNSで #StandAtDawn などのハッシュタグを付けて多くの人と写真をシェア。ABCニュースでも写真を募集してました。

しかも、キャンドルを用意するのが大変な人のためにバーチャルキャンドルなんていうものもあって、スマホにダウンロードすれば誰でも使えます。

https://www.dailytelegraph.com.au/

なるほど、私の感覚では火は本物を灯す事に意味があると思っていたのですが、これなら小さな子供でも安心ですしすぐに用意出来るので便利ですよね。

他にもドーンサービスまでを秒単位でカウントダウンして、当日は音声を聞きながらサービスを受けられるサイトまであって、なんかすごいなあ…と。

それから、早朝の5時半からキャンベラの戦争記念館の式典やその他の地域の様子がインターネットを通して配信されたので、スマホなどでどこからでも観れました。
(詳しくは https://www.dailytelegraph.com.au/https://www.abc.net.au/ から)

いやー学校の授業や仕事もですが、イベントもこうやってインターネットを通して出来ちゃうんですね。そのうちにこういう発言も「何を当たり前の事言っちゃってんの?」となってしまうんでしょうね。

ちなみに、第一次世界大戦中にアンザック軍が戦ったトルコのガリポリの戦場をバーチャルで歩く、オーディオツアー↓なんていうのもあります。(英語のみ)
https://anzacportal.dva.gov.au/

という事で、今年は私も早朝から配信された式典を観ました。

2020年アンザックデー当日

うちはアパートとアパートの間が近くて、下手すれば向こう側の人と目が合うくらいなのですが、6時にキャンドルを持ってバルコニーに出た人は見当たりませんでしたね。…まあシティなので、アンザックデーにあまり関係ない人たちも多いでしょうから、そんなものですかね。

式典はキャンベラから始まって、15分後にメルボルン、そしてアデレードと順番に各式典の様子が配信され、順番に夜が明けていく様子がちょっと面白かったです。シドニーはもう太陽が上がって明るくなったのに、メルボルンはまだ真っ暗なんだなあ…なんて。

10時からはシドニーのハイドパークでの放送があり、私は一度買い物に出掛けて帰って来てから観ていたのですが、朝早かったせいかいつの間にか居眠りしてしまいました。うーん、その後の100周年だった2015年のパレードの様子とかも観たかったんですけどね…。

トルコのガリポリ (Gallipoli) やフランスのヴィレ=ブルトヌー (Villers Bretonneux) で戦った時のドキュメンタリーは観ましたが、オーストラリアがどこの戦争に参加したかなんて日本にいたら考える事はなかっただろうなあ…と思いながら観てました。

ところで、今回のようにアンザックデーのセレモニーがキャンセルになったのは1919年以来なんだそうです。マーチが行われなかったのは1942年を最後に過去3回だけだったらしいですよ。

というのも、現在は新型コロナウイルスの蔓延でこんな状況になっていますが、今から約100年前にはスペイン風邪が流行していたからです。

1919年のスペイン風邪流行

今年は1915年にアンザック軍ぼガリポリ上陸作戦から105年目を迎えますが、アンザック軍が戦争から故郷に戻ってきた時はスペイン風邪 (1918年1月 – 1920年12月) の真っ最中でした。

最終的に世界人口の4分の1程度に相当する5億人が感染したというスペイン風邪、最初の頃は感染者がいなかったオーストラリアですが、帰還兵たちによって持ち込まれてしまったのだとか…。

オーストラリアは1918年10月に迅速で厳格な検疫措置を始めたにも関わらず、結局1919年初頭に感染者が出てしまい、まだ祝日ではなかったアンザックデーの日までには千人近くの死者が出ました。

結局オーストラリアでは人口の約40%が感染し、約1万5千人が命を落としました。これは決して少ない数ではありませんが、それでも人口千人あたり2.7%の死亡率は他の国に比べてかなり低かったそうです。

兵士たちは祖国へ帰還したお祝いや涙の再会の代わりに、フェイスマスクや検査などで迎えられたというのは何とも切ない話ですが、彼らによって世界中にウイルスが広がったという話は、今回のチャイニーズニューイヤーという中国人が世界中を移動する時期に広がった新型コロナウイルスのタイミングの悪さとも少し被りますよね…。

尚、スペイン風邪はスペインで発症したのではなく、戦争の士気を維持するためにメディアからの情報はかなり制御されていた国が多かった中、スペインが最初に広く報道したのでそう呼ばれています。

(こちらを参考にしました: https://10daily.com.au/https://10daily.com.au/https://theconversation.com/)

国民性についても考えさせられる日

ひと昔前までアンザックデーは「日本人は恨みを買っているので気を付けた方が良い」と言われていた日ですが、今は当事者も少なくなり、そんな話も聞かなくなりました。

でも、やっぱりこのイベントは20世紀初頭当時の主なオーストラリア人だった白人の人たちのイベントという感じがします。それは別に良いとか悪いとかではなく、戦争に関わった身内や子孫の方々が多く参加するイベントなので当たり前の事です。

でも、何となく日本国籍をキープしている私としてはお呼びでないというか、いつも気が引けて遠くから眺めている感じです。

式典で歌われたニュージーランドとオーストラリアの国歌を3回耳にした後、「We are Australian」みたいな事を言ってるコマーシャルを見たらちょっと複雑な気持ちになりました。私、この非常時でいつもよりセンシティブになってるので、そのせいかもですけどね。

とはいえ、オーストラリアには日本人のお墓も多く残されていますし、私は当分は日本人の立場からオーストラリアを見ていくつもりではあります。
オーストラリア人と比べるとよく分かる、日本人の国民性

もともと歴史の浅いオーストラリアがオーストラリア人として団結するためにアンザック軍を称えるアンザック神話が出来たとも言われていますが、今でもかつて勇敢に戦った人たちを通して国民の気持ちがひとつになっているようにも見え、羨ましくも感じます。

ただ、移民にどんどん厳しくなっているとはいえ、既に4人に1人が外国生まれというオーストラリアですから、将来今よりも多国籍化していった時、アンザックデーはオーストラリアの行事として成り立つのだろうか?なんて考えてみたり…。

もちろん戦没者の追悼式はずっと続けて欲しいですが、多国籍国家に住むオーストラリア人とは何だろう?と考えさせられる日でもあります。

コロナ禍でロックダウン中のシドニーにいる私の現実

さて、話があちこちに飛びますが、最後にロックダウン中のシドニーにいる現実的な私の生活をちょっとだけ…。

アンザックデーは祝日ですがスーパーマーケットは開いてるとの事だったので、せっかく早起きしたので数週間ぶりに2ブロック先の Coles スーパーマーケットに買い物に行って来ました。

いつもより1時間遅い9時からの営業というのを知らなくて15分くらい待ちましたが、無事入店。

でも最近バルコニーからの日差し以外太陽に当たっていなかったし、あまり動かないのでお腹も空かないしで体力が落ちているようです。長時間立って待っているのがちょっときつく感じました。(体力ある方だったのに…)

トイレットペーパーは先にキープしておかないとなくなるかも?でも持って歩くのは大変だなあ…と思っていたら、びっくりするくらいたくさん並んでいたので安心して買い物できました。

スーパーマーケットの需要と供給バランスがおかしくなっているというのは聞いてましたが、牛乳多過ぎませんか…。

近くの IGA では売っていないものがたくさんあって「やっとパートナーの好きな食パンやお肉も買える!」とワクワクでしたが、普段だってたっぷり買い物する私は更に買う量が増えてしまって、持って帰るのひと苦労でしたよ…。

そして買って来たものは一旦バルコニーに出して消毒。買い物するだけで大騒ぎで、正直面倒です。

おわりに

パンデミックはしんどいですが、バーチャルイベントだと遠方でも参加できますし、便利だなあと思いました。

私がオーストラリアに来たばかりの2006年当時は「オーストラリアって遅れてるな〜」と思っていたのに、ここ十数年のインターネットの発展は目覚ましいですね。

いつまでこんな生活が続くのか、人によって意見も違いますが私は長く続くだろうと思っています。「これは将来、教科書に載る出来事だ!」と言っている人もいますが、まあ時代の節目の来ているのは間違いないでしょうね。

 

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