初めての語学学校であっけなく崩れ去った私の決意

ケアンズに着いたのが日曜日の早朝でしたが、翌日の月曜日はいよいよ語学学校スタートです。

場所は前日にホストファミリーが車で連れて行ってくれて確認済み。ドキドキしながらも張り切って学校に到着し、密かに「オーストラリアの地を踏んだからには、この1年間英語しかしゃべらない!」と心に決めてました。

さてさて、どうなる初の語学学校⁉︎

 

前回の話

どーでも良い日常の倉庫

大分のから電車を乗り継ぎ関西空港まで約6 […]…

 

[adchord]

ケアンズで初語学学校

ワーキングホリデーの王道コースは、まずホームステイをしながら語学学校に通う事ではないでしょうか。

本当は私、語学学校は行くか行かないか結構迷ってたんです。というのも、日本で英会話スクールに2年通っていたので、わざわざオーストラリアでも語学学校に通う必要はないかな?という思いもあったので。

とにかく、エージェントから「語学学校は友達作りや情報収集の為に行った方が良い」と勧められたので、1カ月だけ通う事にしました。

でも今考えると、私はオーストラリアの無料エージェントとメールでやり取りをしながら色々手配してもらったのに、相談者が学校に行かないとなれば学校の紹介料で利益を得て生計を立てているエージェントはタダ働きになってしまいますよね。無知で申し訳なかったです。

 

関連記事

どーでも良い日常の倉庫

ワーキングホリデーと言えば「まずは語学学 […]…

初めての友達

学校にはたくさんの新入生と思われる人たちが集まっていましたが、ウワサ通り日本人がたくさん!しかも8〜9割くらい女性でした。

とりあえず私はそばにいた韓国人の女の子に英語で「受付ってどこか分かりますか?」とかなんとか話し掛けました。そして、ちょっとだけ会話を交わした後、その子は少し困った顔をして日本語でこう言ったんです。

「あの、すみません、日本語でしゃべってもらえますか?」

 

あっ、えっ…?

なんとその子、英語よりも日本語が得意との事。

つまり、私の英語しか話さないという決意は初めの第一声で挫折した訳です。これ、本当の話です(笑)

やっぱり初日が肝心だ

さて、気を取り直して。

いよいよ新入生たちはクラスを振り分ける為の英語のレベルチェックテストをするので、教室に入って筆記テストを受けるように言われました。そして、その間に5〜6人がテストを中断して面接に呼ばれていきます。

私が振り分けられたクラスは Intermediate (中級)。うん、まあそんなもんかな〜。

それは良いんですが、クラス分けの発表を待っている時にある事に気付きました。

今日が入校日のはずなのに日本人はもう既にいくつもグルーが出来ていて、みんな顔見知りっぽい???

この状況、ちょっと何となく焦りません?

「やばい、このままでは私、はみご (はみ出した子) になってしまう!」と直感したので、気が合いそうなそうな日本人グループを見つけて話し掛けました。

はい、私の決意なんてそんなものです。だって、頑なに日本語をしゃべる事を拒否して寂しい学校生活送るの嫌ですもん。たまにいますけどね、そういう人。

でも、この時に仲間に入れてもらった5人のグループとは、ワーホリの間ずっと連絡を取り合う大切な友人となります。それにオーストラリアに来たばかりだったので、同じ国籍で同じような感覚を共有出来る彼女たちとの情報交換は、本当に貴重でした。

どっちにしてもこの時の学校の生徒の国籍はだいたい日本人韓国人スイス人の3グループに分かれていて、それぞれ同じ国同士で固まっている感じだったので、日本人グループに入るのがいちばん良い選択だったと思います。

という事で、私の決意はあっという間に崩れ、オーストラリアに来てわずか1日で日本語三昧になったのでした(笑)

もっとも、韓国人の友人にもそれなりに恵まれ、最初に話しかけた日本語が得意な女の子の他に、もうひとり面接の時に英語が上手な韓国人の女の子とも仲良くなりました。彼女は私の事を「初めての日本人の友達」と言ってくれ、クラスは違いましたがよくつるんでました。

こういう所で出会った人たちは、何か特別な絆が生まれるような気がするので不思議です。

顔見知りだった理由

語学学校でよく買っていた日替わりランチ $5 おやつ付き

学校の授業はまあ想像していた通りという感じでしたが、週1回英語のレベルに関係ない選択科目があったのは面白かったです。

ところで、なぜ学校にいた私以外の日本人みんなは顔見知りだったのでしょう?

後で聞いてみたら、学校の日本人のほとんどがある有名な高額有料エージェントを通して来ていて、学校選びは現地に着いてからグループで学校見学をして決めるのだそうです。そりゃ、みんな知り合いになる訳ですね。

更にそのエージェントの人たちは空港でオリエンテーションして、みんなで一緒に飛行機に乗ってオーストラリアに来たと聞いて驚きました。しかも当時はセカンドビザが出来たばっかりだったので、セカンドを取りたい人はケアンズインと決められていたそう。(多分、エージェントの紹介できるファームがまだそんなに開拓されてなかったのだと。)

だから私は日本人の中でもマイノリティな存在で、ケアンズから遠く離れたシドニーで個人でやっている小さなエージェントを利用していた私にとって、彼女たちが教えてくれた情報は本当に助かりました。だって、ケアンズのどこに行ったら仕事やシェアハウスを見つけられるのかさえ全然知りませんでしたから。

この頃、ネットはまだまだそんなに普及してなかったので、口コミは大切な情報収集手段だったんですよね。

彼女たちはエージェント繋がりで色んな学校に日本人の知り合いがいるのは少しだけうらやましかったですが、せっかくオーストラリアに来たのに日本人ばかりとつるんでもなあ、とも思ってました。

おわりに

だいたいみんな3カ月学校に通う人が多く、私だけ1カ月で卒業する事になるのですが、学校で出来た友人とはその後もしょっちゅう一緒に遊んでましたね。

もともと私はケアンズにずっといる予定はなかったので、とにかくめいいっぱいケアンズを味わおうとしてました。

 

ホームステイの話

どーでも良い日常の倉庫

2006年5月、オーストラリアのケアンズ […]…