いつでも旅に出るように、大好きなものに囲まれていたい

ふと、コロナパンデミック前の私は、いつでも旅に出掛けられるよう心づもりをしていたことを思い出した。

それがロックダウンを含む約2年の引きこもり生活を経て、旅行の支度の仕方を忘れてしまったのに気付いたのは、もう2年も前のこと。

パートナーのお父さん夫婦に会いに、アデレードに行くことになった時だ。

そのことはアメブロにも書いたと思う。

オーストラリアらくがき帳

2020年3月にコロナのパンデミックが始まって以来、私は初めての旅行。パートナーのお父さんが80歳の誕生日なので、私たち…

 

2024年の今は、遠くへ出掛けるよりもシドニー周辺の散策の方に夢中になっているので、最近は宿泊セットを用意する機会はない。出張に行くのもパートナーひとり。

けれど、私にとっては物理的に近いか遠いかは関係なく、家から離れているのは違いないのだから、どちらも「旅」だと思っている。

確かに近場だとじっくり見れなかったとしても「また来れば良いか」と思える気軽さはあるが、そう思いつつも数ヶ月、数年開くことも珍しくないので、やはり距離は関係がない気がする。

 

それはさておき、なぜ旅のことを書こうかと思ったのかというと、冒頭に書いたように、私はまた「いつでも旅に出掛けられる準備が出来てる自分」でいたいという気持ちを思い出したからだ。

 

そう思ったのは多分、新しい靴を買って、久しぶりに髪を切ったからかもしれない。どうやら何か見慣れた日常とは違う新しいものを身につけると、どこか新しい場所に行きたくなるらしい。

 

私は昔からそうだった。

もともと持ち物にこだわるタイプで、特に旅に行く時には好きなもので揃えておきたい。それは別にブランドであったり高価であったりする必要はないのだけれど、私の気分が上がるものがそばに欲しい。

 

旅するのは大好きだし、知らない町を散策するのはワクワクする。集中したいので、ひとりでじっくりと歩けたらなお楽しい。

だけど、もちろん心細さもある。それを含めて楽しんでいるのだ。

 

なんだろう、イメージ的には子供が楽しく遊んでいるうちに知らない住宅街に迷い込んで、見知らぬ家から美味しい夕食の匂いと楽しそうな笑い声が聞こえて心細くなる、そんなシチュエーションを求めている節がある。

これは多分、実際に私が子供の時に感じた感覚が記憶のどこかに残っているのだろうと思う。

そんな時に、気分の上がる大好きな物や服に囲まれていると、ほっと安心する。

 

ということは、私は安心感を感じたくてわざと心細い場所に行きたいのだろうか?

おそらくそれもあるし、もしかしたら、何が自分にとって大切なものなのかを再確認したいのかもしれない。

 

どちらにしても、知らない土地に行くということは、今までの環境から離れるということ。自分と向き合う時間が長いのだ。

 

 

ブログを書き始めて、いつの間にか家で過ごすことが当たり前になり、コロナのパンデミックによる引きこもり生活がそれを加速させた。

それに加えて、年齢を考慮してある程度のおしゃれへの諦めもあったし、最近は気力、興味、集中力がなくなってきていると感じることも増えた。ネットの普及による便利さも拍車をかけたかもしれない。

 

でも、やっぱり持ち物を心機一転すると、気分は変わる。

物欲がなくなって来たのは本当だが、心地よさを追求するのは大事だと再確認したし、またいつでも旅に出れるようにしておこうと思った。