<![CDATA[2021年6月9日水曜日の午後7時頃、パートナーはクイーンズランド州のブリスベンへ出張に行くため、シドニーの自宅から車で出発しました。
でもまさか、それから5ヵ月以上会えないとは…!
パートナーがブリスベンを発って間もなくしてシドニーでデルタ株が流行り出し、6月26日からシドニーでロックダウンが始まってしまったからです。
彼がついにシドニーへ戻って来たのは、11月26日金曜日の午前1時半頃。
その間、私はひとり (と猫2匹) で過ごしたわけですが、ひとりで過ごしたその約5ヵ月間のことを忘れないうちに書き留めておこうと思います。
出張が多いパートナー
もともと出張が多いパートナーですが、2020年3月からコロナ騒動が始まって以来、ロックダウンや旅行制限などいつ突然発表されるか分かりません。
実はこの前の月、パートナーはメルボルンの出張から帰って来たばかりで、その時もメルボルンノースの方で感染者が出たので州境が閉じるのでは?と囁かれていて、私は無事に帰って来てくれるかヒヤヒヤでした。(ギリギリセーフ)
そんなご時世なので州をまたぐのはリスキーだなと思って、私は何度もパートナーに「本当に行くの?」と聞きました。
それに前回のメルボルン出張の時、パートナーはあまりお酒が飲めないのにメルボルンの同僚と飲んでいて転倒したらしいんです。
足を引きずるほど痛めて現地でレントゲンを撮るなどしたとのことで、とりあえず骨には異常はなかったそうですが、その足で狭いスポーツカーに乗って何時間も長距離運転してシドニーまで戻って来ないといけなかったので、心配でした。
離れている時にこういうことが起こると余計心配になりますよね?
なのに今度はブリスベン?って思ったのですが、でもどうしても行かないといけないと本人が言うので、仕方ありません。
私がひとり (と猫2匹) で過ごすことになった経緯
シドニーがロックダウンになった時、どこかで「ほらね…」という気持ちがあったかもしれません。
と言っても、感染者がほぼいないクイーンズランド州からシドニーにはいつでも戻れましたし、パートナーはギリギリ脱出した形になったのでラッキーだったとも言えます。
わざわざ帰って来ても前年のロックダウンの時にように狭いアパートで2人じっとしていることになるだけなので、シドニーには帰らず様子を見た方が良いだろうということでお互い意見が一致しました。
そんなわけで、私は100日続いたと言われるシドニーのロックダウンをひとり (と猫2匹) で過ごすことになったんです。
本当は私もついて行きたいところでしたが猫がいましたし、もしお義母さんやパートナーの弟に世話をお願いしていたならロックダウン中のシドニーに戻って来ないといけなかったでしょうから、私は残って正解だったと思います。
ただ私、パートナーがシドニーを発つ時に嫌な送り出し方をしてしまったので、少し気にはなってました。
パートナーがシドニーを発った日
パートナー、行く行く言うわりになかなか出発しようとしなくて「月曜日に出る」と言っていたのに火曜日になっても水曜日になってもまだ家にいたんです。
こっちとしては、パートナーがいるいないで食事の準備内容が変わってしまいますし、私の計画していた予定までどんどんズレ込んでしまって何度も先送りしなければいけなくて、いつものことながらだんだん腹が立って来ました。
だから最終的に、私は「行くなら早よ行け!」と、まるで追い出したような形で送り出してしまったんですよね。
後から「あの送り出した日がパートナーの顔を見た最後なんてことになったら嫌だなあ~」と、時々考えてましたよ。そうならなくて本当に良かったです。
シドニーがロックダウンした頃の私
私はと言うと、私はボンダイビーチからマンリーまで数日間かけて歩く80km のウォーキングコースを制覇しようと考えていたので、何度か天気の良い日に早くから出掛けていました。
ところが、パートナーが旅立ってからすぐの6月16日に、シドニーのボンダイで陽性者が出たというニュースがあり、あっという間にデルタ株が流行り出してロックダウンが始まったんです。
私が数日前に歩いたばかりのボンダイから感染者、そしてローズベイやダブルベイなど、まさに歩いていた場所がどんどんホットスポットになっていったので、少しゾッとしました。
まあ、タッチの差でセーフというか、お店にもほとんど寄ってませんし、海沿いの開けた空間ばかり歩いていたので感染はないだろうなあとは思いましたが。
でも、ドンピシャな地域の観光案内記事を色々書こうとしていたので、せっかく調べて残念でしたが中断しました。
とりあえず、ロックダウン直前に体調が少し優れなかったのでどうしようかと迷ったものの、無理してローズベイからダブルベイまで歩いてて良かったと思います。もうしばらく行けませんからね。(ロックダウン中に公共交通機関に乗るのも嫌でしたし)
ここでちょっと、シドニーの状況について書いておきます。
シドニーの状況
びっくりするくらい人が少ないボンダイビーチ
シドニーのロックダウンは、最初 Woollahra、Waverley、Randwick、City of Sydneyの4自治体のみと発表されましたが、すぐに Central Coast、Blue Mountains、Wollongong も追加されて、2週間だったロックダウンは延長続き。結局、ワクチン2回接種者を対象にロックダウンが解除されたのは10月11日 (月) です。
感染はビクトリア州にも飛び火して、メルボルンも続いてロックダウン。一時期は解除されたものの、すぐにまたロックダウンが始まって、結局シドニーよりも長く厳しいものになりました。
ニュージーランドにまで飛び火したので、なぜか関係ないシドニーサイダーの私たちまで肩身が狭い思い (?) も…。
↓
7月16日までの1週間延長
↓
7月30日までの2週間延長
↓
8月28日までの4週間延長
↓
9月末まで延長
↓
ワクチン接種が70%いったらロックダウン解除と発表
8月後半には屋外での運動を1日1時間までに制限され、メルボルンに続いてシドニーも夜間外出禁止、買い物には1人しか出れず1日1回のみなど厳しくなっていきます。
7月23日からの東京オリンピック前後は、毎日ニューサウスウェールズ州首相の発表やツイッターなどのコロナ情報を見て、やっぱり気が滅入りました。
一時期のシドニーは感染者が千人〜2千、その頃のクイーンズランド州とは全くの別世界だったと思います。(シドニーが色々と先陣を切って、クイーンズランド州はシドニーが廃止された頃にもワクチン証明が必要など、時間差がありました)
よく行く近所のお店から感染者が出たり、ツイッターでよく交流してる人のアパートで感染者が出たり、どんどん近くなってくる恐怖…。
感染が怖いというよりも、ホットスポットに当たって検査に行くのが嫌で、食料買い出しも最低限の回数ですませてほとんど外には出ませんでした。変に濃厚接触者になって、検査待ちする間の感染リスクを高めたくなかったので。
それなのに、9月には私のアパートの同じ階でも感染者が出てしまって、急遽2度検査に行かないといけなくなったこともありました。
この頃、家の家具を動かして大規模な模様替えをしたのですが、もともと物が多過ぎていたのと無理矢理買いだめした食料を置く場所を作ったのとで行き場を失った物たちで家の中がぐっちゃぐちゃ。
お恥ずかしい話ですが、万が一私が陽性になったらどうしよう、重症になってもこの部屋だけは見られたくないなあ…なんて思ってました。
遠距離になったパートナーと私
だんだんホテルが家になって来たパートナー
パートナーと私は14年も一緒にいるので、離れ離れと言ってもさすがにオーストラリアが鎖国状態で1年以上会えてない国際恋愛カップルのような初々しさはありません。
でもまさか、11月15日のパートナーの誕生日になっても帰って来ないなんて、6月時点では想像もしてませんでしたけどね。
とりあえず、私たちは一緒にいてもそれぞれの世界を楽しむところがあるので、それもあってか孤独感はそれほどありませんでした。
むしろこんなに離れるのは私が2008年にニュージーランドにワーホリに行っていた9ヵ月間以来の10年以上ぶりなので、私もひとりの生活を満喫してたと思います。
パートナーも最初のうちは仕事も忙しく、ブリスベンを満喫していたようです。
彼はブリスベンで2度のワクチン接種接種を終わらせたのですが、もし具合が悪かった時のためにそばにいてあげたいと思ってモヤモヤしたものの、特に強い副反応はなかったようでホッとしました。
幸いパートナーが滞在している間、ブリスベンやゴールドコーストも何度か感染者は出ましたが、蔓延には至らず、3日間のロックダウンくらいで終わっています。後半は州境が閉じたりデモが起こったりで多少バタついてましたけど。
ただやっぱり、だんだんとホテル暮らしの疲れが出ていたようですね。
それに、私が孤独感をあまり感じずにすんだのは、パートナーがほぼ毎日電話をくれていたのも大きかったです。
連絡をマメに取ってくれるパートナー
久しぶりに離れ離れになって思い出したのですが、私はパートナーのこういう連絡をマメに取ってくれるところが好きなんですよね。
2008年にパートナーと出会って数ヵ月後、私はニュージーランドにワーホリに行ったのですが、その時も彼はほぼ毎日電話をくれていて、実は私、これがパートナーと一緒になろうと思った大きなポイントになったんですよね。
ちょうどその前にゴールドコーストで知り合って付き合ってた日本人の元カレとは、電話不精が原因で大喧嘩になり別れたという経緯もあったので…。
パートナーのそういうところは昔と全然変わっていなくて、だから私も安心して過ごせました。
飯テロ写真で記事を書く
ちなみにうちのパートナー、出張中によく飯テロ写真送って来るんです。
今回はおいしそうなケーキ屋さんや、おそらくクイーンズランド州にしか売ってないのではないかと思われる飲み物の写真も送ってくれたので、とりあえず遠隔でブログ記事にさせてもらいました (笑)
いつかブリスベンに行ったら訪れてみたい、買ってみたいと思って。
夢の中でデートごっこ
毎日電話していると話す内容も決まって来て、感染者数やら食べたものやら猫の事やらになってしまいます。
で、すごくくだらない新しい遊びを考えた事もありました。
物質的に会えないので、「夢の中で待ち合わせしてデートしよう」ごっこ。
2人で地域を決めて、パートナーレストランを予約するのですが場所を教えてくれなくて、次の日私が「あのステーキおいしかったね」みたいに答え合わせをする、みたいな (笑)
まあ、最初は面白かったですが、一週間で飽きましたね。
結局、パートナーに電話で「豆腐食べた〜」「納豆食べた〜」と彼の嫌いな物を連呼して、向こうがオエーッという反応をするのを楽しむというパターンで定着しました (笑)
クイーンズランド州が気に入ったパートナーとシドニーを離れたくなくなった私
数年前からシドニー民がクイーンズランド州に移住する話は多く聞いていましたが、コロナで更に加速したようで、パートナーまで「家賃安いし天候も良いし、ここに家を買って引っ越そうか?」と何度となく言って来たので少し驚きました。
昔、私も家賃が安いクイーンズランド州に引っ越すのはどうかと提案したことがあるのですが、当時は全否定していたのに長期滞在でブリスベンが気に入ったようです。
ブリスベン・ゴールドコースト周辺にシドニーやメルボルンなど他州からの人が多く押し寄せて、家賃も上がって競争率も高くなっているとは聞いていたものの、それでもシドニーよりは安い、と。
けれど、私はそんな時期に動くのもなあ…と思ったのもありますし、何よりもシドニーが好きでたまらなくなっている自分がいました。
ほんの3〜4年前までシドニーは情緒のかけらもないし愛着がわかないと思っていたのに、10年以上住んでいるこのシティのアパートを愛しく感じている自分にも気付いたんです。
だから、シドニーはコロナ最前線で大変だったこともありましたが、「シドニーと心中するつもりで生き抜いてやる‼︎」なんて思ったこともありました。
自分がいかに幸せか気付いた
8月頃は戦争が始まったかのように空気がピーンと張り詰めていて、心に重たい鉛が入ったような、取り除きたくても取り除けない現実が起こっているような、私の暗い気持ちのピーク時期でした。(デルタ株、ロックダウン、ワクチン云々、デマ情報、人々の罵りあいなどが色々重なって)
夢じゃなくて、本当に世の中はこんな風になってしまったのか、まさか、私が生きているうちにこんな小説や映画で見たようなおかしな状況を体験するなんて…と。
そんなある日、ブログを書いていたら朝になったのでバルコニーから朝日を眺めて、感傷的な気分になりました。
明るいオレンジ色の光を見ながら、何十回、何百回と見て来た過去の朝日を思い出し、「今まで色々大変と思っていた時もあったけど、それでも私のそばにはいつも必ずパートナーがいて、結局どれも呑気な朝だったんだなあ…」と実感したんです。
この頃は気付くとコロナ情報ばかり追っていて気持ちが常にソワソワしてしまい、何となく落ち着かない日々が続いていました。ブログのネタはたくさんあるのに集中力が続かず、毎日何かしら書いているにも関わらず完成しないという事の繰り返し。
パートナーがいないので、食事もそんなに悩まなくて良いですし、ずっと家にいるのだからブログもたくさん書けると思ったのですが、メンタルの安定は本当に大切です。
完全ひとり生活で起こった変化や感じたこと
誰かと一緒に生活するという事はそれなりに妥協する事もあるわけで、パートナーと暮らす中で「本当は朝から音楽かけたり掃除機かけたりしたいんだけどなあ」と思う事は何度もありました。
うちのパートナーも私も基本的に夜型人間なのですが、ショートスリーパーな私と違って彼はきっちり8時間の睡眠を取らないとダメな人なので起きるのが遅いんです。
だから、狭いアパートなので朝は9時くらいまでは音を立てないように気を遣いますし、猫たちが朝5時から餌をねだってニャアニャア言い出したら私はパートナーが起きないように飛び起きてました。昔はバスルームを使う時のドアノブを回す音やヘアドライヤーの音ももうるさいと文句言われてましたが、それだとさすがに仕事に行く準備が出来ないので諦めてもらいましたけど。
そんな私が手に入れた、自分のタイミングで寝て起きて、食べたい時に食べたい物を食べるという束の間の生活。どんな感じだったかというと…。
昼夜逆転しやすい
これは誰もが容易に想像つくと思いますが、何も制限がないひとり生活をしていると生活リズムが狂って昼夜逆転しやすいです。
私も見事に昼夜逆転してしまい、ひどい時は午後4時に寝てました。
でも、ツイッターでもそういう人をちらほら見掛けましたし、これを悪い事だとは捉えずに自分の体が欲するままに動こうと実験もしていました。
人間の体内時計は25時間サイクルだから自然にしているとズレていくというのを聞いた事があったので、このまま朝型にズラして行こうと開きないってみたり、朝と夜、どっちがブログを書きやすいか実験してみたり…。
で、とりあえず分かったのはこんなことくらいです。
早朝 → 掃除機や拭き掃除系が向いている。ブログはパッションを込めたい記事を書くなら朝。
深夜 → ものを片付けるような掃除が向いている。ブログは考えや情報をまとめる系だと夜の方がはかどる。
結局、深夜から早朝にかけてがブログを書くゴールデンタイムという発見はありました。
ただ、それをすると世間との生活リズムとはズレてしまって、基本的に朝が早いオーストラリアでは、ロックダウンが開けた時にカフェやお店を十分楽しめない可能性はありますね…。
でもそんな矢先、急にバーンと朝型に変わったこともあったんですよ。
適度な緊張感はあった方が良い
これは嬉しくない緊張感でしたが、ある意味面白い体験でした。
7月24日土曜日に世界規模のデモがあったんです。シドニーにも数千人が集まって60人近くが逮捕されたと報道され、その日はシティの我が家からもヘリコプターの音がうるさかったのですが、それをきっかけにして朝5時に寝る生活だった私が、急に朝6時に起きる生活にシフトしたのでびっくりしました。(まあ、2度寝する事もありますが、夜はささっとベッドに入れるようになった)
まあ、要するに緊張感が生まれたんでしょうね。
心のどこかで「いつロックダウンが終わるんだろう?」と思っていた気持ちが、「まだまだ長いぞ」と割り切った途端に腹がすわったというか。
というのも、未遂に終わりましたがまた次の週もあると聞いて、急に「あ、1ヵ月くらい外に出るのやめよう、なんなら今年いっぱいはロックダウンが解けてもセルフロックダウンし続けよう」と思ったからです。
(11月中旬の現在、デモや新株の出現などはあるものの、あの時の張り詰めたシドニーの空気は嘘のように、家にいるのがバカバカしくなるような雰囲気になってます)
という事で、慌てて買い物に行き、これから1カ月外に出なくても大丈夫なようにと、備蓄に精を出しました。そしてよく寝てよく食べ、免疫力もつけなきゃ、と。
日本食材多めに買って、でも自分の食べ物よりも心配なのが猫のエサとトイレの砂の不足なので、常にちょっと多めに買うようにして。
この状況は、まるでアンネ・フランク?ラプンツェル?なすびの懸賞生活?潜伏していた赤軍?とか色々考えましたよ。
そんな中で我慢できずに買ったティムタムのクリスピークリームドーナツは、印象深い思い出になってます。
そして、パートナーが出ていって3ヵ月くらい経った9月頃から少しずつ変化が起きました。
料理が苦痛ではなくなった
物を置くスペースがそんなにない小さなアパートで、すぐいっぱいになってしまう小さな冷蔵庫しかない中、私が1ヵ月買い物に行かなくてもそこそこ生きていけると思ったのは、私ひとり (と猫2匹) だからです。
パートナーは肉が好きで同じようなメニューが続くと嫌がりますが、私ひとりならどうとでもなります。
お米があればハッピーですし、鍋だとスープに具を足していけば何日も持ちます。
私はもともと食に対して貪欲なタイプではなく、むしろ子供に頃に給食が食べ終わらなくて居残りさせられたり、母親のやっつけ仕事のようなご飯で悲しい思いをしたりとネガティブな思いもあり、どちらかと言うと「早く錠剤で全ての栄養が取れる未来が来れば良いのに」とか「かすみを食べて生きれたら楽なのに」なんて思っていました。
そんな私がオーストラリアに来て、食の嗜好が全く違う上に変なこだわりがある今のパートナーと暮らして来たわけですから、長い間自分が何を食べたいのか分からなくなってたんです。
とりあえず、ここ数年出張が多くなったパートナーなので、私もそういう時のために『パートナーが出張に行った時にやる事・食べるものリスト』を作ってました。
パートナーを気にせずに食べれば?と思う人もいるかもしれません。たまに「子供もパートナーも誰も食べないから、ひとりで作って食べている」という在豪日本人の話も聞きますが、ちょっと寂しいですし、パートナーがいるのにわざわざ自分用のものを作って自分だけ食べるのは面倒だし気が引けます。
だから、いない時に思いっきり自分の食べたいものを食べるようにしていたんです。
とはいえ、最初の頃こそ料理するのが億劫でいかに手抜きするかばかり考えていて、鍋物や冷凍食品で済ませる事も多く、日本のお餅もとても楽だったのでよく食べていました。
で、このお餅が始まりだったと思います。
パートナーと遠距離の関係が始まって3ヵ月が経とうとしていた9月初め、急にお餅をぜんざいに入れたいという衝動がわいて来たんです。
でも、出来合いのものを買うと高いし一瞬で終わるし、缶詰を買うくらいなら自分で豆から茹でようと思い、本当に久しぶりにあずき豆を購入しました。
昔、働いてたレストランで鏡開きのお餅をもらったので張り切ってぜんざいを作った事はあるのですが、パートナーがあずきもお餅も嫌いという事が分かってひとり虚しく食べた思い出があり、それが最後だったので、あれから余裕で8年は経っています。
出来上がったぜんざい (砂糖控えめ) は想像以上においしくて、気付くともっと楽しむためにせんざいの具に良いものはないかと検索しているうちに白玉団子からあんみつの存在を思い出して、「ああ、そう言えばあんみつ大好きだったな」と、作ってみたり、更には和菓子作りにハマって白玉粉や団子粉などを買い始めたり、あずきパワーすごい…と思いました (笑)
今まで料理もお菓子作りも億劫に感じていたのに、それから楽しくなって来て。
よく考えたら、いつに間にか私はパートナーに合わせて、お菓子作りと言えばマフィンやスコーンやメレンゲの世界に生きていたのですが、一気にジャパンに引き戻された気分でした (笑)
10月に入って、自分でも和菓子やら色々作ってるなーと思ってた私ですが、突然「あれ、そう言えば私、小さい頃からお菓子作りが趣味だったよね⁉︎」と思い出す私。
そのうちハロウィンが近くなったので、不気味なクッキーやらものすごい気合を入れたパフェやら作ってみたら、創作意欲は満たされるし意外とツイッターでたくさんの反応が来るしで達成感がすごかったです。
そうしているうちに、だんだんと料理するのが苦痛ではなくなり、私の好きなものが躊躇なく食べれるというのもあって食事を作るのが楽しくなったんです。
特に、色々作ってブログにまとめよう♪という思いもあるので、あれしよう、これしようとどんどんアイディアが出て来て、直接人に会えない状況下でもツイッターやブログでお披露目という場がもらえたので、本当に助かりました。(完全に私ひとりだけだと、ここまでやる気にはならなかったと思います)
というか、忘れていた本来の自分を思い出して元気になったというか…?
一番大きかったのは、やっぱり食ですね。長い間、自分が何を食べたいのか分からなくてあまり食欲が出なくて料理するのも億劫だった私が、次はあれ作ろうこれ作ろうとワクワクしてて「あれ、そう言えば私、昔はこんな感じだったよね?」みたいな。
ロックダウン中に私が作ったものはこんな感じ。記事にしたものもありますが、まだ買いてないものも多数ですね。
あずきでぜんざい・あんこ作り
月見団子
白玉粉と代用品
パフェ・フルーツポンチ
ゼラチン・寒天・アガアガの違い
琥珀糖レシピ
カレーのバリエーションとアレンジ
アボカドのアレンジ
梅シロップ作り
まだまだあったかもしれません。
とりあえず、ブログがなぜかなかなか書けなかったので、スパッと諦めてやりたい事に集中するように努めました。
そうしているうちに、パートナーとの食文化の違いからそれまで作っていた『パートナーがいない時に食べたい物リスト』が 5ヵ月が経過したらだんだんと「あ、これならパートナーが喜びそう!」というものが出て来て『パートナーが帰って来たら一緒に食べたいリスト』に変化していったんです。
あっさりした和食や辛い物、とにかく私が好きでもパートナーが好きじゃない食べ物、色々あるんですよ。しかも、いくら好きでも同じメニューが2度続くのもアウト。なのでカレーもなかなか作ることがなくて。
パートナーがいない時に食べたい物リスト
鍋物 / ラーメン / ソバなど麺類全般 (スパゲティもダメ) / おでん / 煮物 / 餅 / ラクサ / バターチキン / 韓国料理 (チヂミ、トッポギ、ミヨックなど) / タブリ / ナス / ブロッコリー / パパイヤ / スターフルーツ / イカ / タラコ・明太子 / アジアの食パン / 茶碗蒸し / あずき・あんこ / 温かいアボカド / 味噌で味付けしたもの / 豆腐 / 納豆 / 抹茶系全般 / 着色料が凄そうなお菓子
あ、この機に私、オーストラリアで初めて豆腐やキムチを買いました!
ちなみに、前回のロックダウンでなぜかお米が好きになったっぽいパートナー、どういう風の吹き回しか今までならきっと嫌がってたナスや甘くないミロにもチャレンジしてみると言い出しました。ちょっと進歩ですね。
他にも変化が色々ありました。
猫との距離感が近くなった
うちの猫たちはパートナーの柔らかいお腹が大好きで、いつも上に乗ってゴロゴロ言ってました。
そのパートナーがいなくなってしばらくは寂しそうでしたが次第に慣れたようで、最初はポンポンがやたらと私の膝の上に乗って来るようになり、ついにはチョウチョウまで「かまってよ!」とニャアニャア私の座っているソファまで登って来るように。
私自身、ずっとひとりで家にいたので、いつもより猫に目が行きやすかったのかもしれません。
狭いアパートに閉じこもってばっかりで、猫がロビーを散歩したがってもコロナが怖くて出来なかったですし、よく2匹が喧嘩するので大変だった事もあります。
チョウチョウがポンポンが威嚇するのでトイレに行けず、絨毯を引っ掻いて私に知らせてくれたのに、私がそれをキャッチ出来ずに漏らしてしまった事もあって、深く反省もしました。
ああ、こうやって一生懸命私に訴えてたんだなあと思うと申し訳なくて、前よりも注意して言動を見るように努めた結果、絆も深くなったような気がします。
<
ブログやツイッターがあって良かった
シドニーがロックダウンになった時、私は完全にひとり (と猫2匹) で過ごしたわけですが、もともと私はひとりで過ごすのが好きですし、パートナーとは毎日電話で連絡を取り合っていたので孤独感は全くありませんでした。
それにツイッターではつぶやくと誰かしら構ってくれて、色んな人と繋がれてのでそれで十分でした。
好きな時間に適当に好きな事をつぶやいて、面白そうな話題に首を突っ込んだり、興味がなければスルーしたり、この距離感がちょうど良かったです。フェイスブックだとちょっと近過ぎるし、インスタグラムは遠過ぎるので。
ツイッターからアイディアもらって面白い記事も書きましたし、シドニー在住者同士マッコリで盛り上がったり、みんなでミロとコーヒー混ぜて飲んでみたり、おすすめ商品教えてもらったり、あとオリンピック開会式では解説してくれる人がたくさんいたので普段の倍楽しめた気がします。(途中までしか観てませんが)
ロックダウンで仕事が出来ずに家にいる人が多かったのか、誰かが何かおいしい食べ物をツイートすればすぐに流行るという現象も面白かったです。
でも、一時期はツイッター、ユーチューブ、ゲーム三昧で、バーチャルばかりに目がいって現実を疎かにしてるみたいでヤバいかも…と思ってネット断ちもちょっとしましたが。
それにしても、よく考えたらシドニーの人たちとかめっちゃ近くに住んでる人いっぱいいるはずなのに、匿名の人が多いので町ですれ違っても分からないという現象、何だか不思議ですね。
あと、一人暮らしをしているお義母さんにも一度ハイドパークで会いました。お義母さんの距離感の取り方、私と似てるのか察して調整してくれているのかは分かりませんが、とても好きです。
そのうち、東京オリンピックももう随分昔の事のように感じて来て、そんな、10月にパートナーから頼んでいたオリンピック記念コインと一緒に絵本とマスクが届きました。
パートナー、別に帰ろうと思えば帰るタイミングはいくらでもあったのですが、感染者数がいつまで経っても収まらないので、いつ帰ってくるか決めかねていた状態。
ですが、ついに帰って来る日が来たんです!
パートナーとの再会は、意外とあまり感動がなかった
離れていた時間はあっという間に過ぎたような気もしましたが、彼が帰って来るので食材を整理したら、彼しか食べない食材の賞味期限の多くが9月頃に切れていて、その長さを実感しました。
それに私ひとりだと、人の目がないのでどんどん自堕落的な生活になっていくようで。パートナーが帰って来ると分かってから、あんなに長い間「物が多すぎて片付かない、どうしよう」と悩んでいた部屋が、ちゃんとお客さんが呼べるレベルまでスッキリ片付ける事が出来たので、やっぱり人の力は侮れないなと思いました。
(ひとりでいる時は「物をただどこかに詰め込むのは片付けじゃない!」という方向で考えて途方に暮れていたのが、他人が来ると思った瞬間に「とりあえず見栄えが良い方向に」と切り替わるからだと思われます)
そして先日、深夜に大量の荷物を持ってシドニーのアパートに帰宅したパートナー。
久しぶりなのでさぞかし感動の再会かと思いきや、案の定パートナーは私よりも猫たちに夢中でした。
まあ、私たちは毎日電話で連絡を取り合っていたのでそんなに「やっと会えた!」みたいな感じはありませんでしたけど、もうちょっと何かあっても良いんじゃないかと (笑)
とりあえず、パートナーも太ったけど、私も彼が今まで見た中でいちばん太ったと言われてちょっとショックでしたが、ほぼずっと家にいたわけなので納得…。
2人でダイエットしなきゃ。
パートナーがいるといないのでは大違い!
猫たちも一応パートナーの事を覚えているのか、他人が家に来た時のようにベッドの下に隠れて出てこないなんていう事はなかったものの、私と猫2匹の静かな生活に突然帰って来たパートナーによって空気が一変したので、ナーバスにはなっていました。
それなのにパートナーってば猫と遊びたくて仕方ないらしく追いかけ回すから、ついにチョウチョウがウーっと威嚇をし始めて、なぜかつられて怒りだしたポンポンと喧嘩になる事態に。
パートナーは「今までオレに対して一度もそんな態度をとった事はなかったのに…」とショックを受けていましたが、そもそも私は猫を自分から追いかけるような事をしないですし、いつも追いかけるパートナーを見て「何でそっとしてあげれないんだろう?」と不思議に思っていた方なので、まあ猫も鬱陶しかったんじゃないかなあ…と内心思ってしまいました。
そう、この5ヵ月の間に、猫たちと私の関係もちょっと変化があって、前よりもより近い存在になっていたと思います。
パートナーが私の目の前に現れた事で、すっかり忘れていた2人だけに分かる会話とかがスラッと出て来て「あー、そうそうそうだった!」と思い出しました。
その後、メルボルンからまたパートナーが電話をかけて来ましたが、一度会ってるので何だかちょっと変な感じ。
パートナーと会ってみて
1日だけシドニーの自宅で過ごしたパートナーでしたが、仕事が忙しかったようでずっとパソコンとにらめっこ。
朝、アボカドとバナナのスムージーを作ったけど、濃いから今は飲まないと言われて残念でしたが、自家製梅シロップは好評でした。
それで、ランチにはパートナーのリクエストで彼の大好きなボロネーゼを作って、その後誕生日ケーキを焼く予定でいたのに、やってしまいました、喧嘩。
私が泣きたい気持ちで大量の荷物をやっと片付けたのに、キッチンにあるカゴに謎のビニール袋が大量に詰められていてちょっとカチーンと来てしまってパートナーに注意したのですが、パートナーは「はいはい、10分も同じ話しなくて良いから。オレ、そんな話聞いてる暇ないんだよ」というのでイラッ。(実際は1分も話してないし、ちょっと念押ししただけ)
なんか、「私がどんな気持ちでこの大量の荷物と過ごしているか、分かってないでしょ!そんなに協力してくれないなら、もう掃除も洗濯も料理もしないよ?今日私は朝早く起きて洗濯して買い物行ったけど、もうお終い。洗濯終わったみたいだから、自分で干しなよ」と意地悪行ったのですが、ひとこと「ごめん」と言ってくれれば終わりなのに、洗濯物干しだして。え?ってか、時間ないとか言ってそれに時間かけられるなら、1分くらい私の話聞いてくれても良いじゃん…って。
あーだこーだ言って、最終的に仲直りして、遅いランチを食べる羽目になりケーキを焼くのは取りやめに。
そう言えば、今までたくさん喧嘩して来て、近年はお互いの地雷を踏まないように妥協しつつ上手くやれるようになっていたのに、久しぶり過ぎて忘れていたみたいです。
途中で2人とも思い出したので良かったですが、また一からやり直しになるかと思ってヒヤッとしましたね。
おわりに
ロックダウンでしんどい思いをした人もたくさんいると思いますが、私は長期にわたってひとりになる時間がたっぷりあったので、自分とじっくり向き合う機会が持てました。
ここ数年、時間があっという間に過ぎて自分が何をして過ごしていたか思い出せないくらいだったのですが、この期間はよく覚えています。
趣味も食の嗜好も全然違うパートナーと私は、それぞれ自分の世界を持っているからこそ上手くいっていたように思います。
同じ家にいてもお互い別々の事に没頭してるような事が多くて、ただ存在を感じられれば満足、みたいな関係。それでもやっぱりいるのといないのとでは全く違うなあというのがよく分かりました。
今回の事で、今はひとりで過ごす時間の楽しさとパートナーがいる事のありがたみ、両方大切に感じています。
あと、色んなものや人にいっそう感謝の気持ちを感じるようになったかも。
何ヵ月もガッツリひとりで過ごす体験なんて滅多にない事でしょうし、メルボルンに行ったパートナーも今度は2日間くらいで帰って来るようなので、最後のひとりの生活を満喫中です。名残惜しいような、もう十分なような。
とにかく一晩パートナーが家にいただけでも私の生活が一変したような雰囲気になったのを感じたので、今のうちに買い込んでいたパートナーが食べないであろう食材を消費して、最後のひとり暮らしを満喫しておかないとと思ってます。
というか、今度はオミクロンという変異株がシドニーに入って来たようなので、早く帰って来て欲しいです。
11月現在は各地で起きているデモを除けばコロナ前のような雰囲気が戻って来ていますが、今度は南アフリカでオミクロン株が発見されたと発表があり、開くはずだった国境がとりあえず2週間延期となり騒然としています。
これから先オーストラリアや世界がどうなって行くのか分かりませんが、日々を大切にして生きようと思います。
この記事でわりと詳細に書けたのは、ロックダウン中から何とかこの状況を記事にしようとこまめにメモをしていたからです。ただ、あの頃はなぜか記事をまとめることが出来ず、しばらく放置されていました。
仕上げたのは2022年5月に入ってからです。
個人的過ぎて誰にも特にならない内容かもしれませんが、私にとっては大切な経験のひとつであり、ある意味節目にもなった期間だったと思っているので、こうやってアップ出来て良かったです。]]>